eお坊さんねっと

目次

人生100年

仏教とは

お経の誕生

お経とは

お経の役割と所作

家族葬と一般葬

北枕と枕直し

門送り

後飾り

通夜

仮通夜と本通夜

授戒

葬儀:弔辞

精進落とし

戒名

葬儀の位牌と仏壇の位牌

過去帳

焼香

御霊前か御仏前か

香典返し

志と寸志

忌中と喪中

仏壇

墓地(お墓)

お題目を唱える

供養とは

法要と法事

年忌法要

彼岸

お盆(盂蘭盆会)

施餓鬼

花まつり

法話とは

釈迦三尊(中尊と脇侍)

寺院の役割

寺請け制度と檀家制度

檀家と菩提寺の関わり

檀家とは、信徒とは

説話


人生100年

お釈迦さま(仏教の開祖)の教えの中に、「死んだ後のことをいくら考えても解は出ない。今ここに私は生きている。その今を、正しく、しっかりと生きることが大切です。」というのがあります。
『好むと好まざるにかかわらず、人には生まれた瞬間から命という誰にも分からない有限の時間が与えられ、滅する瞬間まで歩き続けるのです。回り道でもいい、悔いの無い納得できる歩き方をすべきでしょう。使った時間は戻せません。目標を持って正しく行動すれば事(こと)開き、叶います。ポジティブな想いを持った瞬間から世の中の見方も歩き方も一変します。また、後世の人が困らないような手立てをしておくことは大切です。
命は時間です!親から頂いた命です!有効(大切)に使いましょう!!』仏教にはこのような教えがあります。
「人生の、長さは神が決める、歩き方と幅は自分が決めるのです。」

人生100年、悔いのない人生にしましょう!

eお坊さんねっと 説話集



仏教とは
仏教は、キリスト教、イスラム教と共に世界三大宗教の一つです。これは信者数の多い順ではありません。キリスト教が20億人、イスラム教が16億人、仏教が4億人程度とされ。ヒンドゥー教が11億人程度で、信者数だけなら仏教よりもヒンドゥー教の方が多いのです。
三大とは、「民族、地理を超えて広がっていること、文化的、社会的に及ぼす影響が大きいこと、入信において出自(生まれ)を問わないこと」などにより、世界宗教と言われています。
仏教というと葬式を連想し暗いイメージなものと感じる方もいるでしょう。しかし、「現在を生きる人間が、人生をより良く、より豊に、より充実して生きるかの知恵をガイドしているのが仏教教え」です。
日本での仏教の基本宗派は大きく分けて十三(数え方にもよる)有り、分派して現在では約一六〇派位に分かれていますが根本は一つです。


お経の誕生
「経典」や「仏典」とも言うお経は、お釈迦さまから口頭で教えられたことを弟子たちが文書化したのです。
時期は、お釈迦さま滅(紀元前5世紀頃)後、200年〜300年後と言われていて、「パーリ語、サンスクリット語」などと呼ばれる文字で書かれました。文書は「経蔵、律蔵、論蔵」の3つに分けられていて、これらを「三蔵」と言います。この三蔵に精通している僧侶たちのことを三蔵法師(西遊記で有名)と呼びます。
三蔵法師たちは、インドから中国に持ち帰った文書を漢語に訳し(約600巻)ました。(漢字で記されているものが多いのは、中国で漢訳されたものが多いからです。)このようにお経は、インドから中国へ渡ったのち日本へと伝わったのです。諸説ありますが、日本に伝わったのは奈良時代(500年代)とされています。


お経とは
葬儀や法要などで読まれるお経には、「大切な人を亡くして心を傷めているご遺族や参列者を癒す役割及び、故人をあの世へ導いたり、やすらかに眠るように伝えたりする役割があります」が、そもそもお経は、亡くなられた方に向けてのものではなく、お釈迦さまが修行を通して心の苦しみと向き合い悟りを得て、
『この世に生きている人が幸せな道を歩めるように』
という願いを込めて弟子たちに説いた教えで、生きている人が聞いてほしいお釈迦さまからの贈り物です。


お経の役割と所作
葬儀などで読まれるお経には、
 ・故人が、安らかに眠るように導く(お経を唱え魂に栄養をお供えする「供養」)役割
 ・生きている人を励まし強く生きることを教え導く役割
があるとされています。
また仏式葬儀などお経が読まれる場面で当たり前のようにおこなっている「合掌」、「礼拝(らいはい)」、「読経(どきょう)」ですが、これらの所作(動作)にもきちんとした意味があります。
 ・合掌:顔や胸の前で左右の手のひらを合わせます。「故人の成仏を願う気持ちを表現しています。」
  右手は仏様そのものであったり、悟りの世界であったりします。そして左手は「自分」です。
  (日常生活の中で行われる合掌という所作は、「感謝」や「敬意」を伝える作法のひとつです)
 ・礼拝:合掌の姿勢で上体を45度くらい前方に傾けて礼をして、ゆっくりと上体を起こす動作です。
   お礼する、感謝するなどの意味があり、祈ることではありません。また礼拝は挨拶にも使われます。
 ・読経:「読経」とは、お経を声に出して読むことです。


家族葬と一般葬
何がどう異なるのか、疑問に思われている方からの問い合わせが多くありますが、何も差異はありません。
一般葬に対してあれこれ簡素化したスタイルのものを家族葬と呼んでいるのです。
(寺院関係の作法や所作などは同じです。家族、親族中心で行う葬儀と捉えてください。)
どちらかと言うと葬儀社の戦略で、『家族葬ですから料金はお安くなりますよ』とPRしたいがためにネーミングされたものと思えばいいのです。
家族葬でもオプションを多く取り込めば高額になり、一般葬といわれているものでも簡素化する事項(事柄など)を多くすれば割安になります。ネーミングに惑わされないことです。
見栄を張る必要もありません。考え方に合った身の丈がいいのです。


北枕と枕直し
仏教では、お亡くなりになられた故人の頭を「北枕」にして安置します.。.(これを「枕直し」」といいます)。
この風習は、日本と朝鮮半島あたりの範囲であります。これは、釈迦入滅のとき「北枕」であったという説が一般的ですが、「北枕」にこだわる必要はありません。
お仏壇があれば「本尊」が安置してありますので、この場合には故人の頭の方向は「本尊」の方向にします。
<参考>:通常の生活においては、「頭寒足熱」(ずかんそくねつ)といい、頭が冷え、足が暖かいことは健康によいといわれており、「北枕」はお勧めなのです。


門送り
かつてはお葬式が発生すると近所の方(班とか組の人など)が集まって「お手伝い」をしたのです。今でも風習(文化)が残っているところもありますが、最近では、ほとんど葬儀社に依頼するためかそういった風習も少なくなってきています。
また、「自宅で葬儀を行う場合の出棺や自宅から葬儀場に送る場合」に自分の家の前に立ち合掌して見送る風習があります。これを門送りといいます。
又、地域によっては葬儀が終了し会葬者の方々が帰られるとき、遺族が所定の場所に並んでお見送りする。これを門送り(お見送り)という場合もあります。その地域の文化、風習によります。


後飾り
仮のお仏壇と捉えてもいいでしょう。ご本人限りの小さな祭壇です。
遺骨を埋葬していない場合は一緒に祀り、仏飯、水などのお供えをします。
ロウソク、線香、香炉等も用意します。
四十九日の法要まで白木の位牌や遺影を祀ります。


通夜
かつては、遺族だけのお勤めでした。明治以降、友人、知人、近隣の人々まで出向いたほうが良いという考えが広がり、人情として今生の別れを惜しみ遺族を慰めるという気持ちも加わり、近しい方も参列する風習になってきました。しかし近年では、旧来の風習と作法は異にしますが、通夜、葬儀ともに家族及び親族のみで行うことが多くなっています。
信条もあるでしょうが高額費用がそのきっかけにもなっています。日本の葬儀費用は世界一高いのです。
又、高額なお布施の為、檀家から離れる人が増えています。


仮通夜と本通夜
通夜には、遺族のみで行う「仮通夜」と一般の弔問を受ける「本通夜」がありますが、最近では、どちらも短時間で済ませるか、どちらか一方のみの場合が多くなっています。
特に昨今では一般の弔問は受けない家族のみで行う形(家族葬)も多くなっています。
ねばならないとい形はありません。周りに振り回されないことが大切です。


授戒
授戒とは、仏の弟子になる(仲間入り))ということで、授戒会(じゅかいえ)という儀式を行うことです。仏の戒め(教え諭す)を受け、それを守り実行することになります。授戒は、仏を礼拝し、よくない心を反省(懺悔(さんげ))してから、仏戒を授けてもらい、その教えを守ることを誓う式です。
仏の弟子(仲間入り)というと、亡くなってからのことだと考えている人もありますが、そうではありません。授戒は生前に行うのが本来の考え方です。


葬儀:弔辞
人望厚く社会経験豊富な人や深い付き合いであった人などは弔辞を依頼されることがあります。考える時間も少ないのが現実です。そんなときの三つのポイントを次に挙げます。
「@追悼の言葉 A生前の業績をたたえることや特に印象に残る思い出など B残された者(例えば自分)としての決意」です。時間は、自己紹介後、3分内外がいいでしょう。長々というのは感心できません。
こういった場面では緊張するものです。最初の自己紹介(通常は関係と名前を簡潔に)に続いて、「こういった場での作法には不調法(ぶちょうほう)なものですから、想いを私なりの言葉で述べさせていただきます」などのように言ってから、内容に入ると無難です。


精進落とし
家族の一員が亡くなったときくらいは、獣や魚などの生き物の命を奪わないようにという思いから行われたのが最初で、忌明けまでの期間は、家族は肉や魚を食べずに精進料理で過ごし、忌明けと共に日常生活に戻る際に、食卓に肉や魚を並べ精進落としの儀をもって、けじめをつけたのです。時代の変遷とともに現在では、お世話になった関係者への労いの席として設けられる意味合いが強くなっています。
又、めったにお目にかかれないであろう方から、亡くなられた人の話が聞ける貴重な時間かも知れません。重要なコミュニケーションのひとつと捉えましょう。尚、列席者の長居は無用です。


戒名
古来より日本の仏式葬儀では、人が亡くなると俗名の代わりに仏の弟子としての名前を授けます。これが「戒名(かいみょう)」と呼ばれるものです。昔は、仏教の戒律を守り仏の教えに帰依した人のみが、戒名を授かることができましたが現在では、出家の有無にかかわらず戒名を授かることが出来ます。
同じ仏教でも、宗派によっては「戒名」ではなく、「法名」とか「法号」です。なぜ呼び名が異なるのかというと、それぞれの宗派の教えや考え方の違いによるものです。付け方にもそれぞれ決まりごとがあります。
そのような戒名ですが、戒名はいらないと考える方もいて、俗名のまま葬儀をおこなうことがあります。この場合、入る予定の墓がある場合には寺院(墓地管理者)に相談をする必要があります。寺院によっては、その寺院で授けた戒名でないと納骨できない場合があります。


葬儀の位牌と仏壇の位牌
葬儀のときは「白木位牌」を、、仏壇には「本位牌」が使われます。これは近年になってから定着した習慣です。
白木は手垢や汚れがつきやすく使いまわしができません。このことから「清浄無垢」という意味のほかにも「あなただけのためのものですよ」とか「一度きりのものです」という意味合いから、お亡くなりになった方のために使用する祭壇や位牌は白木を使用するようになったといわれています。
四十九日(中陰)を過ぎると忌明けとなり、本位牌にかえます。通常、位牌はひとりひとり独立して作りますが、本位牌の場合は夫婦連名にするケースもあります。また、繰出位牌(くりだしいはい)といって、ひとつの位牌の中に戒名を複数名分(7〜8名)書ける板を入れるタイプのものもあります。
四十九日には、白木と本位牌両方準備し、白木の位牌は魂抜きを、本位牌は魂入れをします。なお、地域の風習や先祖代々の習慣及び宗派によっては、位牌をお祀りせず過去帳を用いる場合があります。



 

過去帳
過去帳(かこちょう)は、先祖代々の俗名(生きているときに使っていた名前)や戒名、亡くなった年月日,、年齢などが書かれるものです。備考欄には様々なことが書き込めます。遡れば、自分が実際に会ったことのないご先祖のことが分かります。。過去帳は「個人情報の塊」です。
過去帳は本形式になっていて仏壇の引き出しなどに保管され、宗派(或いは地域の風習)によっては、位牌は用いず過去帳を供養に使います。
  


焼香
葬式や法要で香を焚き、故人や仏を拝む行為です。仏教には、焼香の香りは仏の食物であるという考えがあります。あの世での幸せを祈るために焼香します。焼香は、供養する側の邪気を祓って精神と肉体の穢れを取り除くともいわれます。心と体を清めて、お参りをするための作法とも考えられています。
焼香の作法は宗派によって異なります。よくある質問ですが焼香の作法は、
故人の宗派に合わせるか、自分の宗派に合わせます。(故人の宗派に合わせることは、敬意を表すことになります。故人の宗派がわからない場合は、僧侶や喪主のまねをします。自分の宗教への信仰心が厚い人は、自分の宗派の作法で焼香をあげても大丈夫です。


御霊前か御仏前か
「御霊前」と「御仏前」どちらを使用するか迷うことが多いのでは?
これは宗派、地域文化、考え方などによります。人は亡くなると霊になり四十九日の旅に出て、四十九日の旅が終わり仏になるという考えでは、四十九日の法要までは御霊前、それ以降は御仏前ですが、霊の存在を認めていない宗派では霊の期間がありません。この場合は、四十九日までの期間でも御仏前を使用します。
このように御霊前は使用しない宗派もありますので、事前の確認を行う必要があります。
とはいっても事前確認ができない場合が圧倒的かと思います。従って無難なのは、「御香典」、「御香資」、「御香料」といえます。


香典返し
香典返しは半返しが基本とされています。タイミングは三十五日か四十九日の忌明けの法要に合わせるのが一般的でしたが、最近多いのが香典の「即日返し」です。当日参列者に直接手渡しするので、手間の省略ができるとともに配送料が必要なくなるということで定着しつつあります。もちろん香典の中身(金額)を確認して品物を選ぶのではありませんので、その時は一律の額のものということになります。従って、香典が特に高額だった人には忌明け後に改めて別の御礼をするのがいいでしょう。時代の流れとともにこういった風習のあり方も変化しています。


志と寸志
「志」は表書き(「忌明志」、「満中陰志」などの場合もある)として、弔事の場合のお礼(香典返し、法要の引出物などに)として宗派を問わずに用います。
間違いを起こしやすいのが「寸志」です。「寸志」は「薄謝」などと同じで、ちょっとした日常のお礼の気持ちを表す時に用います。しかも、目下の人へだけ使う表書きです。(目上の人に使っては失礼になります)目上の人へは、「御礼」とか「お中元」、お歳暮」などを使います。
<補足>:「志」を受け取った場合のお礼は必要ありません。お礼の品を送ってくれたのですからさらにお礼を重ねる(言う)必要はありません。どうしてもという場合には、「○○の品、確かに受け取りました。お気遣い頂きありがとうございます。」程度でいいいでしょう。


忌中と喪中
「忌中と喪中」をどう使い分けるか?これは、宗派や地域文化風習)にもよりますが、次の考え方が最近では定着しているようです。
「忌中」:亡くなった日から四十九日をいい、「喪中」:四十九日以降から一周忌までをいいます。
かつては忌中、喪中期間は、「日常生活での慶事、祭礼への関わりは避ける」とされていましたが、近年の風習はいささか異なるようです。亡くなられた人で異なりますが、完全に慶事、祭礼への出席を自粛するのは、配偶者10日、父母7日、子供5日、祖父母兄弟3日というのがひとつの目安のようです(地域の風習により異なるようですが)。年賀状のやりとりを一年間控えるのは共通認識になっているようです。


仏壇
仏壇には、「仏様をお祀りする場所」と「ご先祖様の家」という意味があります。
家庭の仏壇は、寺院にある仏壇(内陣)を小型にして、厨子(仏像や仏舎利利・経典・位牌など、大切なものを納める箱)と一体化して箱型にしたものです。従って仏壇は家の中にある小さなお寺とも言えます。お寺に出向かなくても自宅のお仏壇で供養すればお寺に出向いたと同じ意味合いになります。中央にあるくびれた台の部分は、須弥壇(しゅみだん)「仏教寺院において本尊を安置する場所であり仏像等を安置するために一段高く設けられた場所」と呼ばれます。
※「須弥壇」は須弥山(しゅみせん)「世界の中心にそびえるという高山を表したもので、これより上は清浄な仏の世界、下は地上世界だと考える。」からきています。


墓地(お墓)
墓地とは、亡くなった人を葬るための墓を設けるための区域です。墓地を区画した部分を墓所(ぼしょ)といいます。墓地に関する法律には、「墓地、埋葬等に関する法律」があり、墓地を設置・経営できるのは原則、次の団体です。「・市町村などの公共団体 ・宗教法人 ・公益法人」
この法律には、墓地外の埋葬等の禁止(埋葬又は焼骨の埋蔵は墓地以外の区域に行ってはならない。火葬は火葬場以外の施設で行ってはならない。)が定められています。
尚、利用にあたっては、墓地内のある区画を利用する「権利」を買うことになります。従って墓地の価格は、「永代使用料」、「墓地使用料」などと呼ばれます。
※・永代使用料(墓地代)は非課税対象ですので消費税はかかりません。
※・墓石代や工事代など(石材店に支払うもの)には消費税がかかります。


お題目を唱える
「お題目」とは、仏教用語で経典のタイトルのことをいいます。お経を唱える場合、最初にお題目を唱えます。「お題目を唱えその力を呼び出し、悟りを得ること」、これが本来の意味合いですが、表面の体裁だけを取り繕った状態を指して、言うことや表面(表題、目次、マニフェストなど)は立派に見えたり聞こえたりするが内実、実態、実践などが伴わない状態であるときにも使われます。
いかにも立派に聞こえる耳障りのいい方針や考え方の表題だけ言っても中身は何もないということです。見掛けばかりの張子の虎状態です。「言うは易く、行うは難し」と同じ意味で使われます。こういった状態が続いたり度重なると信頼も信用もなくなることは当然でしょう。


供養とは
自分は祖先から脈々と受け継がれてきた生命の分身であると考えると、その有難さや尊さを想うこともあるのではないでしょうか。そういった想いの表現の一つが供養と捉えていいでしょう。
供養には、「利供養」、「敬供養」、「行供養」があるとされています。
・「利供養」:花や香り、食物、とりわけ亡くなられた人が好んだ物を供える供養
・「敬供養」:仏さまを敬い、讃え、信心し、お用などを読む供養
・「行供養」:人を幸せに導く供養(悪いことは行わず、善い行いをする)
いつも全てについて行うということでもなく、その時々に出来ることを行うことです。
※法事・法要として行われる行事では、利供養、敬供養などが行われます。
※行供養は日々の心がけや振る舞いに出てきます。


法要と法事
「法要」とは:遺族が故人を偲び冥福を祈るために行う「追善供養」です。
「法事」とは:法要(追善供養)の後席の会食まで含めてをいいます。
皆で、故人を偲ぶことで、いつまでも人々の心の中に生き続けます。
一人でも、お仏壇や遺影の前で祈ること、想いだすことは立派な供養です。
※法要は命日を過ぎてからは行なわないとされていますが、同じ年に複数の法要が重なってしまう場合には併せて行なうことが多くあります。この場合、後から亡くなられた方の命日に併せるのが一般的です。


年忌法要
年回法要ともいいます。亡くなられた翌年が一周忌です。その翌年が三回忌です。
三回忌からは亡くなられた年も含めて数え、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌、五十回忌と追善供養の法要を営みます。
(二十三回忌と二十七回忌の代わりに二十五回忌を行う場合があります。)
※三十三回忌又は五十回忌を最後にすることが多く、これを「弔い上げ」といいます。


彼岸
彼岸は季節の区切り、太陽が真東から昇り、真西(極楽浄土の方角)に沈みます.。春の彼岸と秋の彼岸は微妙に異なります。
春の彼岸:先祖に感謝し供養する法要で、自然をたたえ、生物を慈しみ、亡くなった人を偲びます。
秋の彼岸:先祖に感謝し供養する法要で、祖先を敬い、亡くなった人を偲びます。
(いずれも、「国民の祝日に関する法律」より)
そもそも彼岸の期間は仏教者たちが、「迷いや煩悩を断ち切って悟りの境地に至るための修行期間」で、七日間あります。中日は供養(先祖を偲ぶ)を他の六日間は一日ひとつづつ六つの修行を行うのです。


お盆(盂蘭盆会)
お釈迦様の弟子に神通力のすぐれた方(目連尊者)が居て、ある日、亡くなった母親がどうしているかと、神通力を使ってみると、母親は餓鬼道の世界に落ち、体は痩せこけ、お腹だけ膨らませて、口に入れようとする食べ物すべてが燃え上がり、もがき苦しんでいるのです。母親は生前、他人の不幸を省みず、人をだまし、おのれの欲求のみに生きました。その結果が餓鬼道だったのです。驚いた目連尊者は、お釈迦様に相談しました。お釈迦様は、『雨季ももうすぐ明ける。雨季の間、修行に篭っていたお坊さんがでてきたら、お坊さんたちを供養することによって、母親は餓鬼道の苦しみから救われるだろう。』と言われました。
早速、目連尊者は何百人というお坊さんを供養し、、神通力で母親の様子を見てみると、母親は餓鬼道より救われ、ニコニコと微笑んでおられました。この供養がお盆(盂蘭盆会:うらぼんえ)のはじまりです。


施餓鬼
お釈迦様の弟子である阿難尊者が座禅修行している時、口から火を吐く一人の恐ろしい餓鬼が現れ、「お前は三日後に死んで、私のように醜い餓鬼に生まれ変わるだろう」と言いました。
驚いて、どうしたらその苦難を逃れられるかと餓鬼に聞くと「餓鬼道にいる困苦の衆生に対して飲食を施し、供養すれば苦難を脱することができ、お前の寿命も延びるだろう」と言いました。
どのようにしたらよいか分からない阿難は、お釈迦様に相談したところ、『観世音菩薩の秘呪がある。一器の食物を供え、仏・法・僧の三宝を供養すれば、その食べ物は無量の食物となり、一切の餓鬼は充分に空腹を満たされ、無量無数の苦難を救い、施主は寿命が延長し、その功徳により仏道を悟ることができる』と言われました。阿難が早速その通りにすると、阿難の命は救われました。この供養が施餓鬼(施餓鬼会)の起源とされています。
最近ではお盆の時期に施餓鬼が行われる寺院が多くありますが、本来のいわれが別であり、お盆の時期とは別に施餓鬼会を行う(時期は不定期)ところが多くもあります。


花まつり
「花まつり」といったら、お釈迦さまの誕生日。降誕会(ごうたんえ)とか、仏生会(ぶっしょうえ)とか、いろんな言い方があります。。他にも浄土宗や浄土真宗の寺院では灌仏会(かんぶつえ)とも言います。
お釈迦さまの誕生日と民間行事の花まつりとが合体してできたもので、ちょうどこの時期、山の神が里に下りてきて田の神になるという民間信仰とさくらの花見を、お釈迦さまの誕生日に合わせ四月八日 = 「花まつり」としたものです。
誕生仏を置いたお堂をいろんな花できれいに飾って(「花御堂」と言う)、その中で水盤に乗せたお釈迦さまの誕生仏に柄杓で甘茶をかけます。これはお釈迦さま誕生の時、甘露の雨が降り注いだという伝説からきています。
大きな作り物の白い象の上に、花で飾った御輿に誕生仏を乗せてお寺の境内を一周することもある。これは、お釈迦さまのお母さんが、白い象がからだの中に入る夢を見て、お釈迦さまを妊娠したという伝説によるものです。
※民間信仰:「特に農業に従事する人のあいだでは、春になると山の神が山から里に降りて来て田の神となり、秋の収穫が終わると、里から山に帰ってまた山の神になる」と信じられています。


法話とは
法話とは、僧侶が聴衆に対し話をすることで、説教、説話ともいいます。そもそもは僧侶の世界のものであり、高僧が修行僧に説くこと(説法)でした。
大衆向けには、鎌倉時代に僧侶が諸国を廻り、考えや体験、諸国の状況などを含めて話をしたことにより一般化されました。しかし、戦後、仏教を知的にしか理解できない僧侶が増え、説法・説教というより単なる講義(仏教知識の伝達)を行うだけの僧侶が多くなっていること及び、技術の急速な発達により知識としての情報であれば簡単に入手できる時代になっており、社会経験もなく、寺院にこもって修行しただけの僧侶の話を聞いても有難くは思わない人が多くなっているのも現実です。現実離れした内容から、時代に即したあり方が必要でしょう。
今や、格差、孤独、閉塞感、疎外感、個の時代、・・・などと、寂しい言葉が氾濫する中、期待するところは「絆」、「信頼」、・・・などとかなりのギャップを感じますが、これが現代です。


釈迦三尊(中尊と脇侍)
中尊を釈迦如来、左右に脇侍(わきじ、きょうじ)を配した安置形式です。
左脇侍(向かって右)に騎獅の文殊菩薩、右脇侍(向かって左)に乗象の普賢菩薩を配します。
この形を釈迦三尊といいます。
(ご参考:三尊とは、中央(中尊)に如来を置き、左右に如来より下位の菩薩や天部を配する仏像の配置形態)


寺院の役割
今や寺院は葬儀や法事をする所、お墓のある所などと思われていますが本来はそれだけではありません。お釈迦さまの教えは、「生きる為の教え」です。その教えを広める所が寺院です。お釈迦さまはお葬儀儀礼には積極的には関わっていませんでした。
説法などでも、「死んだ先の事は、いくら考えても結論が出るものではない。明るく元気に正しく生きることを考え実行しなさい」と教えています。
この教えを学んだ弟子たちが後年になり、「亡くなられた時に、もう一度お釈迦様の教えを聞かせて、教えを忘れないようにして良い所へ生まれ変わってください」という思いを込めて、亡くなられた時にお釈迦さまの教えを聞かせる(お経を読む)というスタイルが出来上がり今日に至っています。
「葬式仏教」などという言い方がされますが、これは、寺院(僧侶)が、葬儀や法要ばかり行っていて、生きる為の教えを説いたり、情報を伝えなくなった状況を批判した言葉です。
もちろん葬儀や法要も大切な勤めであり、亡くなられた方を通して、「命」の尊さ、大切さ、厳しさを学ぶ機会でもあります。


寺請け制度と檀家制度
江戸時代に、寺請け(てらうけ)制度が敷かれました。これはどの家も仏教のいずれかの宗派に所属させ、寺院の檀家(檀徒)になるようにした制度で菩提寺の始まりです。
幕府は寺院にその檀家の家族全員分についての、出生地・生年月日などを届けさせ、宗門人別改帳(しゅうもんにんべつあらためちょう:今で言う「戸籍簿」)に登録しその内容を寺院に保証させ寺院の檀家であるという証明としたのです。この制度によって民衆は、いずれかの寺院を菩提寺と定め、その檀家となる事を義務付けられたのです。婚姻・旅行(関所を通る時も檀家の証明書がないと通れませんでした)・就職・移住などに際しては証文(寺請証文)を発行していました。
この頃から各家には仏壇が置かれるようになり、法要の際には僧侶を招くという慣習が出来上がったのです。このように檀家であることの証明を寺院から請ける制度が寺請制度で、寺院が幕府の統治体制の一翼を担うこととなったのです。
この制度が定着して檀家制度(寺院が檀家の葬祭供養を独占的に執り行なうことで結ばれた関係)が出来上がり、檀家に対し幕府は菩提寺への参拝やお布施を義務づけたため、寺院にとって檀家は顧客」であり安定した収益基盤でした。やがて寺院の本来業務であるべき宗教活動がおろそかになり、汚職の温床にもなったのです。
寺請制度は1871年(明治4年)に廃止されましたが、檀家制度は風習として残っているのが現実です。


檀家と菩提寺の関わり
寺請制度から始まった「檀家制度」は、他の仏教国には例をみない日本独特のシステムで、僧侶を葬祭専門職化させ宗派の体質を堕落させる要因にもなりました。
各宗派、各地域の文化などでそれぞれ檀家の捉え方(考え方)があるようですが、一つの捉え方として檀家とは「その寺院にお墓があり、寺院がその家の葬祭供養を独占的に執り行なうことで結ばれた関係の家」のことを言います。この場合の、その寺院のことを菩提寺(檀那寺、旦那寺ともいう)といいます。
今まで、檀家制度という集金システムに守られてきた寺院はぬるま湯状態となり、葬儀と法要だけを執り行う「葬式仏教」と揶揄されるまで形骸化したとも言われています。人々の悩みを聞き、「生き活き」と生きるためのアドバイスをするという本来の役目(お釈迦さまの教え)を怠った寺院は、淘汰される時代を迎えつつあります。
最近では檀家には入らない家庭や檀家離れをする方が増えているのが現実です。


檀家とは、信徒とは
宗派や地域文化などによって、その意味合いや呼び方は様々です。寺院を構成しているのは寺院の従業者(関係者)とその家族、そしてなにより支える檀家であり檀徒及び信徒です。
檀家とは:その寺院にお墓を持っている家のことをいいます。寺院に帰属し施しをする取り決めを結んだ家のことです。つまり、特定の寺院が葬祭供養を執り行う代わりに、財施(ざいせ:お金や物品の施し)により寺院を扶助する家を指します。
檀徒とは:檀家の人々のことを言い、継続的にその寺院で仏事を営む人です。
信徒とは:その寺院にお墓はないけれども、信条、教え、考え方などに共感(信奉)する人のことを言うことが多いようです。呼び方も(信徒、信者、教徒、宗徒、門徒など」様々あります。
その他、檀信徒という表現をする事がありますが、これは檀家、檀徒及び信徒をまとめた言い方です。
近年では、霊園を利用される方(家)が増えていてどこの寺院の檀家にもなっていない家(人)が多いのも現実です。